続きです。
タイトルつけるなら「それぞれの道へ」みたいな感じでしょうか。
高校三年になった瞬間、生活リズムは一転。夜遅くても12時には就寝、朝は6時起きと、なんとも健康的な生活を送ってました。
キム
2003年6月?
転機。友人を通して、同じ高校に通うギターのF君と出会う。俺はあまりバンドをやる気はなかったが、彼は熱いソウルの持ち主(くっせ~)で、熱意に負けとりあえずバンドをやることに。オリジナルをやるんですが、音源などは一切なし。スタジオいってその場で編曲、しかもソロは毎回違うし構成もスタジオはいる度に変わるため、俺も必死。それぞれジャンルの違う音楽をやっていたが、F君の持ち前のリーダーシップのもとそれらがうまく融合。基本ブルースですね。で見事ティーンズで大賞を受賞、ゼップ仙台での演奏が決定する。
ちなみにこの年の夏休み、学校のほうで強制参加の勉強合宿があったが無視。バンドにかける。
同年10月
学校の人たちが統一摸試を受けてる中、ゼップ仙台での演奏。照明がすごくて客席が見えん(*д*)これに出るための急造バンドであることがわかったのか、バンドの一体感が足りないと指摘され、賞をのがす。悔いは残るものの、おれの受験のためとりあえずバンドは解散。この後か前か忘れましたが、ラジオで一度うちのバンドの曲が流れたらしい。
同年12月
突然F君からの電話。大晦日にライブがあるんだけどぜひ俺に叩いてほしいと。ベースのK君が卒業後PAの勉強で東京へいくから、お別れライブの意味もこめてと。練習もしなきゃいけないし、そうすると受験に影響するということで俺は最初断りました。しかし1、2時間に及ぶ説得の末、ライブやることになる。センター試験までもう一ヶ月ないっつーのに!親にもピーピー言われました。当然です。しかしここまで頼りにされてるし、情にもろい俺はライブを敢行。今度こそバンドは休止。
2004年
受験。中略。後期の合格発表までの時間、プレッシャーに耐えられなかったおれは国外逃亡。が、見事合格。アメフトの方々に胴上げされるヾ(´ε`;)ゝ
なかなか熱い高校三年生。この他、前から目つけられてた先生と喧嘩になって校長室まで連れてかれたり、先生のひきこもり、頭髪をめぐるバトル、他校との関係など色々ありましたが、やはりバンドでしょう。卒業後俺は大学、K君は東京、F君はギター修行のためアメリカへ。